
死者の復活
ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。
死んだ行ないからの悔い改め、神の信仰の教え、バプテスマの教え、手を置くこと、死者の復活、とこしえのさばきなど基礎的なことを再びやり直したりしないようにしましょう。
新約聖書 へブル 6:1-2
・ 体の復活は、聖書の中で重要で基本的な教義である。
・ それは、神が死者のからだを生き返らせ、それを再びその人のたましいと霊と結合させることをさす。
◎ イエスは、信者のためのいのちの復活と、悪者のためのさばきの復活のことを語っている。
このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。
善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。
新約聖書 ヨハネの福音書5:28-29
また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。
新約聖書 使徒の働き24:15
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
新約聖書 コリント人への手紙第一15:22
・ ここで、この使徒が肉体的な死と肉体的な復活のことを言っていることは明らかである。なぜなら、ここで言っているのは体のことであり、霊のことではないから。
・ 義人は、悪者より「以前」に復活し、二つの復活の間には千年の空間があることがわかる。
また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。
また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。
彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。
新約聖書 ヨハネの黙示録20:4-5
◎ 復活の順序は次のとおり:
(a) 携挙の時の教会の聖徒たちの復活
私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
新約聖書 テサロニケ人への手紙第一4:14-17
終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
新約聖書 コリント人への手紙第一15:52
(b)罪人の復活
そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。
新約聖書 ヨハネの黙示録20:5
また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。
新約聖書 ヨハネの黙示録20:11-14
◎ 旧約の中の教え
私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。
私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。
この方を私は自分自身で見る。私の目がこれを見る。ほかの者の目ではない。私の内なる思いは私のうちで絶え入るばかりだ。
旧約聖書 ヨブ記19:25-27
地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。
旧約聖書 ダニエル書12:2
◎ 新約の中の教え
父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。
新約聖書 ヨハネの福音書5:21 (ヨハネ6:39,40)
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
新約聖書 コリント人への手紙第一15:22-23
◎ 何故体の復活が必要か、少なくとも三つの理由があると、聖書は啓示している。
(a)体は、人の全人格にとって必要不可欠なものである。人は体なしでは不完全なものである。
そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
新約聖書 ローマ人への手紙8:23
・ 体が復活して、贖いの計画は完成する。
(b)体は聖霊の宮である。それは復活の時再び御霊の宮となる。(Tコリント6:19)
(c)あらゆる水準で罪のもたらした結果を元どおりにするために、人間の最後の敵(体の死)は復活によって征服されなければならない。
最後の敵である死も滅ぼされます。
新約聖書 コリント人への手紙第一15:26
しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
新約聖書 コリント人への手紙第一15:54
しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
新約聖書 コリント人への手紙第一15:57
◎ 私たちの体の復活は、キリストの復活によって保証されている。
ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。
新約聖書 マタイの福音書28:6
・ イエスの復活は福音の中心的な真理のひとつである。
・ それは聖書のことばが真理であることを実証する。
まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
旧約聖書 詩篇16:10
(使徒2:31)
もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。
そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。
新約聖書 コリント人への手紙第一15:13-14
◎ いつ死者の復活は起こるのか
それは教会の携挙において、信者たちが起こされる時起こる。
死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、
血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。
第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。
土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。
私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。
終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
コリント人への手紙第一15:42-54
けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
新約聖書 ピリピ人への手紙3:20-21
◎ 信者たちの復活の体は主御自身の復活された体のようになる。
愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。
新約聖書 ヨハネの手紙第一3:2
◎ イエス・キリストは弟子たちに栄光のからだで現れる。そして私たちはイエス・キリストと同じような栄光のからだを持つ。
わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」
新約聖書 ルカの福音書24:39
(a)「霊なら肉や骨はありません。」というのは、霊には形や体がない、という意味ではない。
(b)それらは人間が持っているような体は持っていない。
ところが、ある人はこう言うでしょう。「死者は、どのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか。」
コリント人への手紙第一15:35
・ キリストにある死者がよみがえる時、生きている信者たちは姿を変えられる。彼らの体は不死を着る。(Tコリント15:51,53)
(c)・ 体は、新しい天と新しい地に適合させられた天上の体に変えられる。
また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、
新約聖書 コリント人への手紙第一15:40
パウロは言っている:天上のからだもあるのです。
◎ 復活した体はこのようなものになる。
(a)今のいのちの体と同一であるゆえに、だれであるかわかる。
それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。
新約聖書 ルカの福音書24:31
しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、
こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
新約聖書 使徒の働き7:55-56
(b)不死の腐敗したり死んだりすることのない体。
死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
新約聖書 コリント人への手紙第一15:42
(d)私たちはキリストのように栄光の体を持つようになる。それは、地上の制限から自由になったものである。
その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
新約聖書 ヨハネの福音書20:19 (ルカ24:31)(Tコリント15:44)
(e)私たちは、病気や弱さに支配されない、力強い体を持つようになる。
卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、
新約聖書 コリント人への手紙第一15:43
(f)私たちは、食べたり飲んだりすることができる体を持つようになる。
イエスといっしょに食卓に着いていた客のひとりはこれを聞いて、イエスに、「神の国で食事する人は、何と幸いなことでしょう。」と言った。
新約聖書 ルカの福音書14:15
それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。
新約聖書 ルカの福音書22:30
それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、
イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。
新約聖書 ルカの福音書24:42-43
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