名古屋クリスチャンセンター教会
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【 みなが異言で話さなくてはいけない理由 】

 信じる人々には、次のようなしるしが伴います。すなわち、私の名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り………
 新約聖書 マルコ16:17)

 マルコ16章17節の新しい言葉とは、異言のことを示しています。そして信じる人々(クリスチャン)に新しい言葉(異言)を語るしるしが伴うと書かれてあり、ギリシャ語(GLOSA グローサ)の新しい言葉の意味は、自分で習っていないことを、超自然的に話す。という意味があります。したがって異言を語るのは、聖霊を受けたクリスチャンにとって、なくてはならないしるしのひとつです。

@異言は聖霊を受けた最初のしるしです。

 …聖霊がお下りになった…異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。…
 新約聖書 使徒10:44〜46

 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語り…
 新約聖書 使徒19:6

 使徒10:44〜46によるとこの時代のユダヤ人にしか聖霊が下らないと思っていたが異邦人(私達日本人も含まれる)にも聖霊が下るので驚いている。
「人が驚くとは、見る、聞く、触る、味わう、かぐなどの五感によるもので、さらに『彼らが異言を話し』と書かれているように聖霊が下ったときに彼らが異言を話すのを見て、また聞いて驚いたと書かれてある。また使徒19:6にも聖霊が下ったときに異言を話したと同じ事が書かれてあり、これらの2つの聖旬から言えるのは聖霊が下った時にともなうしるしは、異言であるということです。」

A異言は、神に直接語っている。

 異言を話す者は人に話すのではなく神に話すのです。というのはだれも聞いていないのに自分の霊で奥義を話すからです。
 Tコリント14:2

 もし私が異言で祈るなら私の霊は祈るが私の知性は実を結ばないのです。ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。
 新約聖書 Tコリント14:14-15

 この2つの聖旬より異言を話す者の霊が神に直接祈ることを示している。
「私たちが街を歩く時も、掃除をする時も、いかなる場合でも、異言で祈るなら神に直接語っていることになる。」
又、知性(日本語)の祈りや賛美だけでなく、霊(異言)での祈りや賛美を神は求めている。なぜなら、『(ヨハネ4:24)神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。』だから霊の言葉である異言によって神との交わりをすることが大切である。

B異言は聖霊臨在の確信を高める。

 私は父にお願いします。そうすれば父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるためにです。
その方は真理の御霊です。世はその方を受け入れることはできません。世はその方を見もせず知りもしないからです。しかしあなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたと住みあなたがたの内におられるからです。
 新約聖書 ヨハネ14:16-17

 16節に書かれてあるように聖霊は、私たちの内にいつまでもおられます。また@で学んだように、聖霊を受けた時、しるしとして異言が伴いますがこれは一時的なしるしではなく、生涯続けなくてはいけない神との交わりです。
毎日の生活において、異言で神に祈り、また賛美することによって聖霊が私たちの中におられ働かれることが、しだいにわかってきます。

C異言は私達の祈りを助ける。

 御霊も同じようにして弱い私たちを助けてくださいます。私たちはどのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が言いようもない深いうめきによって私たちのために、とりなしてくださいます。
 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かを良く知っておられます。なぜなら御霊は、神のみこころに従って聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
 新約聖書 ローマ8:26-27

 私たちが祈る時、神の御心にかなう祈りをしているでしょうか?『このような小さな者の祈りをどうかかなえてください。』このような祈りを神は望んでいません。 多くの人々はこの様な祈りになりがちです。しかし異言で祈る祈りは、このような間違った祈りではなく又、自分本位でもなく、神の御心に従って祈ることができます。
 またここで書かれている「弱い」とは、ギリシャ語の意味で無知、知力が足りないとあり、私たちの知りうるところは一部分であるから異言で補うことによって私達が全く知らない事柄についても祈ることができるのです。

D異言は霊的な力を高める

異言を話す者は、自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。
 新約聖書 Tコリント14:4 

ここで書かれている「徳を高める」(οικοσομετ)というギリシャ語の意味には「建てあげる」「強める」「充電する」という意味があります。ですから私たちが異言で祈るならば自分自身(内なる人)を建てあげ、強め、霊的なカを蓄えることになります。

E異言は信仰を刺激する

しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている、最も聖い信仰の上に自分を築き上げ、聖霊によって祈り、
新約聖書 ユダ20

この手紙でユダは、偽教師などによって信仰を失いかけていた人々に対して異言で祈ることによって、信仰 を刺激し、堅く保つことを教えたのです。 同じように私たちも偽教師などの間違った教えによって信仰を揺るがされることなく、異言で祈り信仰を刺激し堅く保つことが必要です 。

F異言は霊的休息を得る

 まことに主はもつれる舌で、外国のことばで、この民に語られる。主は、彼らに「ここにいこいがある。疲れた者をいこわせよ。ここに休みがある。」
 旧約聖書 イザヤ28:11-12

この箇所にあるいこいや休みとはどういう意味なのでしょう。それは異言を話すことによって、霊的いこいや休息を得られるということなのです。ちょうどイエス・キリストが、多くの群衆に栄光を現わした後に霊的休息を得るために祈られたように、私達も異言で祈り霊的休息を得なければなりません。

G異言は舌を制御する

 しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない、悪であり、死の毒に満ちています。
 新約聖書 ヤコブ3:8

 舌を制御することはだれにもできません。しかし、私たちが舌を聖霊にすべて委ねて異言で話すならば、悪を行なう器官ではなく、神の前にとりなし祈り、自分自身の霊的な力を蓄え、信仰を刺激し、休息を得、感謝をささげる尊い器官として用いることができます。

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