名古屋クリスチャンセンター教会
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【 セミナーでのQ&A 】 2006/01/26  

マイク・リード先生(左)とボビー・ロモ先生
マイク・リード先生(左)とボビー・ロモ先生

2005年4月30日〜5月9日にマイク・リード先生、ボビー・ロモ先生を迎え、ティーチングセミナーが行われました。セミナーでは、多くのみことばが語られ、また多くの預言が語られました。また、同セミナーにおいては質疑応答のための時間も取られ、以下にその内容をまとめました。

Q、大祭司メルキゼデクはどうして、その生涯の初めもなく、命の終わりもなく神の子に似た者とされているのですか?
A、メルキゼデクは旧約の時代の異邦人の祭司でした。律法ができる以前にアブラハムが利品の1/10を彼に分けました。

このメルキゼデクは、サレムの王で、すぐれて高い神の祭司でしたが、アブラハムが王たちを打ち破って帰るのを出迎えて祝福しました。 またアブラハムは彼に、すべての戦利品の十分の一を分けました。まず彼は、その名を訳すと義の王てあり、次に、サレムの王、すなわち平和の王です。 父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。
新約聖書 ヘブル人への手紙7:1-3

多くの人はメルキゼデクを特別なことで引用しますが、メルキゼデクは人間であって永遠の存在ではありませんでした。ここで「父もなく、母もなく…」と書かれているのは、父母がなく、生涯の初めと終わりがなかったという意味ではなく、それが知られていないということです。普通ユダヤ人は系図があって、両親が誰かということが分かるのですが、彼には系図がないので、彼の父や母のことが知られておらず、いつ生まれ、いつ亡くなったのかがわからないのです。メルキゼデクは永遠に生きておられる方、イエス・キリストを象徴的に表わしています。

Q、悪霊から解放された人には、イエス・キリストが「あなたの家族のところに帰って、どんなに大きなことをしてくれたかを知らせなさい。」と言っていますが、二人の盲人がいやされた時にはイエス・キリストは「決して誰にも知られないように気をつけなさい。」と言われました。イエス・キリストがいやされた人に対して、他の人に言ってはいけない、ある時は他の人に知らせなさいと二通りのことを言われたことに対してどのように解釈したら良いですか?

しかし、お許しにならないで、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」
新約聖書 マルコの福音書5:19
すると、彼らの目があいた。イエスは彼らをきびしく戒めて、「決してだれにも知られないように気をつけなさい。」と言われた。
新約聖書 マタイの福音書9:30
イエスは、ご白身のことを知らせないようにと、きびしく彼らを戒められた。
新約聖書 マルコの福音書3:12

A、悪霊から解放された人には、「告げるように」と言い、目が開いた人には「言わないように。」と言っています。メシアのしるしの一つが、盲人の目が開くことでした。それが人に知られるとイエス・キリストが自由に宣教できなくなる事情がありました。また、ある場合には大群衆を引き寄せてしまったので、自由に宣教できなくなってしまいました。 イエス・キリストは町から町へ福音を宣べ伝えなければならなかったので、時によっては大群衆が集まることがその妨げとなってしまうため、人々に広言しないように言われたことがありました。

Q、モーセがエジプトに行こうとした時、途中でモーセが殺されそうになり、チツポラが火打石を取って、自分の息子の包皮を切り、モーセの両足につけて難を逃れることが出来ましたが、これはどうしてですか?

さて、途中、一夜を明かす場所でのことだった。主はモーセに会われ、彼を殺そうとされた。 そのとき、チッポラは火打石を取って、自分の息子の包皮を切り、それをモーセの両足につけ、そして言った。「まことにあなたは私にとって血の花婿です。」 そこで、主はモーセを放された。彼女はそのとき割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。
旧約聖書 出エジプト記4:24-26

A、モーセは割礼をするように命じられていましたが、その点で主に従っていませんでした。それゆえに神はえこひいきのない方である故に、モーセの所に来られて彼を殺そうとしました。モーセの妻はそれ(モーセが割礼を受けていないこと)を知っていたので彼女のやり方で彼の息子に割礼をしてモーセを救うことができました。

Q、聖霊が罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。というのはどのような意味ですか。
その方(聖霊)が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。

罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。 また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。 さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。
新約聖書 ヨハネの福音書16:8-11

A、新改訳聖書の訳ではその意味がはっきりわかりません。「世に誤りを認めさせる」という個所の正しい訳は「世にその誤りを示す」です。 罪についてとは世の人が救いを受けるために彼らが罪人であるという事を示すということです。聖霊は、世の人を罪に定めるのではなく、彼らに自らが救われなければならない存在であるということを示すのです。 義についてとはクリスチャンが神との関係において正しくされており、義とされていることを示しています。 さばきについてとは、『2000年前に悪魔、すなわち死の力を持つものの力を無にした。ゼロにした。」ことを人々に確信させます。 それが悪魔に対してのさばきであり、そのことを宣言しています。 聖霊は悪魔が既にさぱかれたことを私たちに教え確信させます。

そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主(イエス・キリスト)もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死(イエス・キリストの死)によって、悪魔という、死のカを持つ者を滅ぼし、 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。
新約聖書 ヘブル人への手紙2:14-15

死の力を持つ者を滅ぼし…の他の訳では、無にして、使いものにならないものとした。ゼロにしたという意味になっています。 イエス・キリストはご自身の死によって、悪魔を無にしました。そのカを滅ぼしたことが神のさばきの内容です。

Q、イエス・キリストは三位一体〔天の父、イエス・キリスト、聖霊〕の神の一人であり、天の父、聖霊とともに存在して最初からおられた方なのに、どうして造られたものより先に生まれた方といっているのですか?

御子(イエス・キリスト)は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものよリ先に生まれた方です。
新約聖書 コロサイ人への手紙1:15

A、確かに、イエス・キリストは最初から存在されていました。

神である主、常にいまし、苦いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」
新約聖書 ヨハネの黙示録1:8

コロサイ1:15のキング・ジェームス訳では、「全ての創造物の先に立つ最初に生まれた方」となっています。 これは、死から最初に生まれた方、すなわちよみがえられた方であることを示しています。そしてイエス・キリストを信じた人々が次に死からよみがえります。

また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、
新約聖書 ヨハネの黙示録1:5

これらのことを通して私たちは永遠の御子としてのイエス・キリスト、そして人としてのイエス・キリストの両面を見ます。 イエス・キリストは、最初に死からよみがえられた方であり、また、神として初めも終わりもなく永遠に存在される方です。

Q、「受けるよりも与える方が幸いである。』とイエス・キリストが言われたことばを、パウロはイエス・キリストと一緒にいなかったのですから、どのようにして知ったのですか?

A、同じように、パウロはイエス・キリストとともに過ごしていませんでしたが、1コリント11:23で主の晩餐のことを語っています。彼はこれを啓示によって受けたと言っています。

私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、
新約聖書 コリント人への手紙第一11:23

パウロは、イエス・キリストご自身から啓示を受けました。イエス・キリストは一度以上パウロに現れています。(Uコリント12:1-4)イエス・キリストがパウロに会って直接パウロに、教えられました。パウロは啓示を受けた後誰にも会わず、誰にも相談せず荒野に出て行き、3年後にペテロ、ヤコブと会って話しています。

けれども、生まれたときから私(パウロ)を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子(イエス・キリスト)を私のうちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず、先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました。 それから三年後に、私はケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。 しかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒にはだれにも会いませんでした。
新約聖書 ガラテヤ人への手紙1:15-19

ですから、パウロはイエス・キリストの啓示を人からではなく、イエス・キリストから直接受けたのです。

私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すどおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
新約聖書 コリント人への手紙第一15:3

また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあリます。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に減びを招いています。
新約聖書 ペテロの手紙第二3:15-16

ベテ□は、手紙でパウロがイエス・キリストに会い、啓示を受けたことについて語っていると思われます。 また、ハウ□は他の弟子達よりも多くのことを知っていたのではないかと思われます。なぜなら、「パウロが言っていることは少し難しい」と言っているからです。

Q、マタイ12:43-45を詳しく教えてください。

汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。 そこで、『出て来た自分の家に帰ろう。』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。 そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」
新約聖書 マタイの福音書12:43-45

A、これは悪霊につかれた人から悪霊が追い出された後のことについて書かれています。悪霊は人間の体を家として必要としています。人から出て行った悪霊には住む家(体)はありませんので、休息場がない状態です。そして、捜しても休み場が見つからないので、「私の家に戻ろう。」と言って、出てきた人のところへ戻ってきます。もし、イエス・キリストを救い主として受け入れておらず、聖霊によって満たされていないなら、罪を犯し続けているなら、悪霊が他の悪霊を連れて来て、この人の中に再び入って心地よく住むようになります。そうするなら、その人は、最初のときより悪い状態になります。 ですから、悪霊から解旅された後罪から離れて聖い歩みをしなければなりませんし、神の子どもとして悪霊に対して権威(イエス・キリストの名の権威)が与えられていることを認識する必要があります。

Q、聖書の中に『さばいてはいけない。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟の目の中のちりを取り除こうとするのか。』という箇所がありますが、詳しく教えてください。

さばいてはいけません。さばかれないためです。 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおリに、あなたがたも量られるからです。 また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちリに目をつけるが、自分の日の中の梁には気がつかないのですか。 兄弟に向かって、「あなたの日のちリを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。 偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。
新約聖書 マタイの福音書7:1-5

自分の目にある材木を入れたままで、どうして人の目にある、おがくずほどのちいさなごみを気にするのか。材木が目をふさいで、自分が良く見えないというのに、どうして、「目にごみが入っているよ。とってあげよう」などと言うのか。偽善者よ。まず自分の目から材木を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって人を助けることが出来ます。
リビングバイブル訳 新約聖書マタイの福音書7:3-5

A、ある人は、大きな罪をもっていながら、他人の小さな罪をさばこうとしています。とかく人の小さな罪(ちり)を指摘しますが、自分に大きな罪(梁)があることに気づいていないことがあるゆえに、そのような人にイエス・キリストはこのように言っています。 「まず自分の罪を取り扱いなさい。そうすれば他の人の罪の取り扱いを助けてあげることができます。」ということです。 他の人をさばくなら、あなた自身もさばかれるから、人々をさばかないように、注意しなさいとイエス・キリストは語っています。

Q、旧約聖書のT列王記1:11-30の話において、年寄りの預言者はどうして神の人をだましたのですか? だましておいてなぜ死んだら悲しんだのですか?

王は神の人に言った。「私といっしょに家に来て、食事をして元気をつけてください。あなたに贈り物をしたい。」 すると、神の人は王に言った。「たとい、あなたの家の半分を私に下さっても、あなたといっしょにまいりません。また、この所ではパンを食べず、水も飲みません。 主の命令によって、『パンを食べてはならない。水も飲んではならない。また、もと来た道を通って帰ってはならない。』と命じられているからです。 こうして、彼はベテルに来たときの道は通らず、ほかの道を通って帰った。
ひとりの年寄りの預言者がペテルに住んでいた。その息子たちが来て、その日、ベテルで神の人がしたことを残らず彼に話した。また、この人が王に告げたことぱも父に話した。すると父は、「その人はどの道を行ったか。」と彼らに尋ねた。息子たちはユダから来た神の人の帰って行った道を知っていた。 父は息子たちに、「ろばに鞍を置いてくれ。」と言った。彼らがろばに鞍を置くと、父はろばに乗り、神の人のあとを追って行った。その人が樫の木の下にすわっているのを見つけると、「あなたがユダからおいでになった神の人ですか。」と尋ねた。その人は、「私です。」と答えた.彼はその人に、『私といっしょに家に来て、パンを食べてください。」と言った。 するとその人は、「私はあなたといっしょに引き返し、あなたといっしょに行くことはできません。この所では、あなたといっしょにパンも食べず、水も飲みません。 というのは、私は主の命令によって、『そこではパンを食べてはならない。水も飲んではならない。もと来た道を通って帰ってはならない。』と命じられているからです。」 彼はその人に言った。「私もあなたと同じく預言者です。御使いが主の命令を受けて、私に『その人をあなたの家に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ。』と言って命じました。」こうしてその人をだました。
そこで、その人は彼といっしょに帰り、彼の家でパンを食べ、水を飲んだ。 彼らが食卓についていたとき、その人を連れ戻した預言者に、主のことばがあったので、彼はユダから来た神の人に叫んで言った。「主はこう仰せられる。『あなたは主のことばにむき、あなたの神、主が命じられた命令を守らず、主があなたに、パンを食べてはならない、水も飲んではならない、と命じられた場所に引き返して、そこであなたはパンを食べ、水を飲んだので、あなたのなきがらは、あなたの先祖の墓には、はいらない。』」 彼はパンを食べ、水を飲んで後、彼が連れ帰った預言者のために、ろばに鞍を置いた。その人が出て行くと、獅子が道でその人に会い、その人を殺した。死体は道に投げ出され、ろばはそのそばに立っていた。獅子も死体のそばに立っていた。
… そこで、預言者は、神の人の死体を取り上げ、それをろばに乗せてこの年寄りの預言者の町に持ち帰り、いたみ悲しんで、葬った。 彼がなきがらを自分の墓に納めると、みなはその人のために、「ああ、わが兄弟。」と言って、いたみ悲しんだ。
旧約聖書 列王記第一13:7-24、29-30

A、神の人は直接王に語り、いやしを行なったゆえに、人々に知られていました。年寄りの預言者は彼に対してねたみをおこし、神の人をだましました。しかし、年寄りの預言者は、このことに対する霊的な理解力がなく、そのことで神の人が死ぬとは思いませんでした。すべてが起こった後、後悔し悲しんだのです。

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