
「神の愛と恵みにより家族が変えられました。」
仲宗根光枝さん 沖縄県
私の人生は結婚してからある時は幸せ、ある時は心にいつも悩みの種が黒く居座っていました。
それは夫のお酒のことです。ある程度までは、いい状態で周りの人々を笑いに誘って飲んでいますが、
ある線を越えると何を言っているのかわからないくらい自分を失い、その言葉によって人々を激怒させ、
特にお祝い等の席では私の心は落ち着くことなく不安でした。私の結婚生活には悲しさがいつもついて回り、
いつしか何の為に生まれてきたのかな、こんな人生を続けるのかなと自分を責め、自分を卑下する日々が始まりました。
そうこうしているうち、子供も成長し、息子は介護士の職に着き、それがひとつの小さな光となり、
生きていくエネルギーの源となりました。
しかし、そこからが私の本当の地獄の始まりでした。沖縄では何につけお酒はつきものです。
息子の人生にもお酒が入り込み、活動好きな息子が酒と友になるには時間はかかりませんでした。
最初の頃ちゃんとした姿で帰ってきていたのがだんだん身体全体酒に犯された状態を見るようになり、
私は夫の姿を息子に見るようで、その点からも失望し、怒り、やるせなさ、悲しさは、
夫のことよりも増し加わって行きました。やがては友達にかかえられて帰ってくる始末です。
自分がどんなふうに帰ってきたのかさえ覚えてないようです。ある時は家の消火灯に車をぶつけ、
車を使用不能にしてしまったり、友達の家の二階から落ちたり、夜中お墓の前に座って話をしていたり、
いい車をちょっとかすっただけでもお酒の臭いがするからといって訴えられたりです。
以前は父親が一人で晩酌しているのを見て「一人で飲むなど考えられない。」と言っていたのに、
いつの間にか自分も一人で部屋で飲むようになり、翌日タンスの中を見るとビールの大瓶が五、六本あいているのです。
飲まないと寝られないようでした。幾つとなくアルバイトもダメになり、罰金、免許停止、
更には家庭裁判を受けるまでになって行きました。 私は電話が鳴る度にビクッとなり、
職場のラジオのニュースでひき逃げなど交通事故の声を聞くとまさか息子ではと思い、
すべてに耳をおおいたくなる日々でした。
沖縄ではお盆にエイサーという踊りがあります。仕事を終え、夜遅く迄練習です。終わればまたお酒です。
息子は、この行事が好きで仕事で疲れていても練習は欠かしません。ある日の帰り、
ジグザグ運転でまたつかまってしまったのです。何度となく飲酒運転を繰り返した結果ついに刑務所入りです。
介護士の仕事もやはり辞めざるを得ません。その時息子は二十三才。その頃から、不安から恐怖への始まりです。
先祖のことや、いろんな拝みをしてないからなのかとユタや霊媒師、
火の神に今までにない熱心さを持って依り頼みました。また自分が変わらなければと、あらゆる本や論理、
仏教、良しとされるものには、疲れた肉体にむち打って探り求めました。
それは、「この息子はこの若さでこれからどうなるんだろう。」というただそのことだけの思いからです。
親として肉が引きちぎられる思いで心も張り裂けそうでした。私の頭の中は真っ白になり、
どうしていいのかわからず、涙が止まらない日々でした。その時、夫のこと息子のことに対してすべてに限界を感じ、
神が何であるのか、本当に神はいるのかさえも知らず、ただ息子の入っている留置所に体を向け心を投げ出し
「助けて下さい。私はこの子からお金も名誉も地位も入りません。ただただ真っ直ぐにして下さい。」と朝昼晩、
涙を流し祈り始めました。
 そしたら三日位してから不思議にもラジオなど聴いたことのない夫がラジオのスイッチを入れたのです。
ちょうどお酒についてのメッセージが流れているのです。その放送は教会からのものでした。これまで、
教会なんて興味がなく、ただ宗教のようなもので私には関係ないものと背を向けていたのです。
「私たちを守っているのは先祖だ。」と、それが一番だったのです。
しかしその大切だった頼れると思っていたものからも裏切られ、何にも頼れなく、
とにかくそこへ行ってみようと夫と息子は足を運びました。教会とは無縁だった私達です。
二人はわけもわからないまま、礼拝の日、賛美に加わり、その時は熱いものがこみあげ涙が出て来たそうです。
今まで、世にある歌をどんなにも愛してきたのに、それでは味わえない感動を覚え、
賛美の不思議さに彼らの心は釘付けでした。
私は、息子が刑を終えてきても、自分を小さくし、人の目を気にし、自分を社会の片隅に追いやるのではないかと、
息子には罪意識がどうしても残るのではないかと思いました。でも、息子は心を開いてイエス様を受け入れ、
罪が赦されたという偉大なる神の言葉を聞いて、夫とともに、すべての罪責感が消えました。
裁判も間近に控えているにもかかわらず毎日笑顔があり、将来に向かっているのです。
そして、お酒についてイエスの名によって祈ってもらった時、その祈りはかなえられたのです。
神のように大事した仏壇や、道徳的な学びによって解決を得ようと長い間努力してきたことには答えがありませんでした。
イエス様を受け入れ祈ってもらったその日から奇蹟は起こったのです。
どんなことをしてもやめられなかったお酒がその日を境にピタッと止まったのです。
何がどうなっているのと二人に聞くと、目の前にお酒があっても飲む気がしないというのです。
無理しているのでもなく自然にそうなったと言われた時、いったい何が起こっているのか、私にはただ不思議でした。
そして人々を見る見方も批判的ではなく優しさが感じられるのです。
行動にしろ、口の聞き方、考え方、すべてが変わり始めました。
まるで誰かと一緒でその人に手を引かれているかのように、
側で見ている私は今までの彼とは別人のようになっていくのがわかるのです。後で知ったことですが、
「だれでもキリストのうちにあるならその人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って見よすべてが新しくなりました。」 Uコリント5:17
とあります。まさにその通りです。イエス様は確かに生きていて愛の人へと新しくして下さったのです。
夫も食事よりもお酒が好きなタイプでした。そして本という本は読む気さえ起こさなかった人です。
でも神の愛にふれてから聖書を離すことなく、命のように大事なものとしているのです。
私も二ヶ月後イエス・キリストを主として受け入れ、娘も後に救われ、
私達家族が地獄の日々から抜け出ることが出来たのです。
私達の問題に対して必ず解決を与えて下さる愛の神であることを多くの人々に知ってもらいたいです。
私は神の愛にふれ、今まで当たり前と思っていたものが神の恵みに感謝する心に変えられました。
力ある主は、夫や息子をお酒から解放し自由にして下さり、聖書を通して真理の言葉によって生かされている恵み、
生きる喜びを与えて下さいました。また、人々をねたみ、
さげすむさまざまな心を神の愛によって人々に対することができるように考え方も変えられました。
私の人生ををすべて益として下さった主イエス・キリストは、私の人生が以前そうであったように、
あなたの人生にも良いものを与えたいと手をさしのべて下さっています。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。」 マタイ11:28
主はいろいろな問題で苦しんでいるあなたにこのように語りかけておられます。
今、私の人生が地獄の日々から地上の天国に移され、
崩壊してもおかしくなかった家族が神の愛によってひとつとされています。
「私のところに来なさい。」と生きて働いている真の神につなぎあわされたゆえのことです。
この世の何物よりも私の内には真理を知る大切な恵みが一番の喜びとなっています。
「あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。」エレミヤ書15:16
あの頃死にたいと思っても死ねない自分がいて、逃げ出したくても逃げることも出来ず、
いっそう気が狂った方がいいと思っても狂うことも出来ない生き地獄の八年間でした。
しかし今、生きていて良かったと、私の人生もこれからだと思っています。
私達家族を導いて下さり、守りの中に入れて下さった主イエス・キリストにすべての栄光をお帰しし、
心より感謝いたします。
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